島音interview ~あびこ めぐみ~
By habu-connection On 22 3月, 2013 At 12:37 AM | Categorized As OKINAWAN MUSIC, あびこ めぐみ, 島音interview | With 0 Comments


沖縄音楽にアレンジされたCDアルバム「ジブリんちゅ」「ラブソンちゅ」「夏ソンちゅ」などに参加、ライブや数々のイベントに出演し活動されているあびこさん。
その音楽ルーツと生い立ちに迫った。                                       </>


あびこ めぐみ
●プロフィール
1982年生まれの栃木県出身。祖母は民謡師範。中学時代をフィリピンで過ごす。
2006年から独学で三線を始め、2008年には一五一会Days (東京、名古屋、大阪ツアー)他、
数々のイベントに出演し活動を広げる。
2009年7月25日「石花草」でデビュー。
現在、東京を中心に活動中。
●公式Webサイト http://www.abikomegumi.com/top.html 

 

◆インタビュー目次◆


●the beginning――――

―この間は、OKINAWA祭りでした。
はい。第1回目でした。すごく暑い猛暑の日でしたが、2日間出演しました。平日の4時からだったんですけど、広いステージで気持ち良く歌わせていただきました。

 

―アイランダーズの一員として出演されていましたが、やはりソロの時とは違いますか?
やっぱり気持ちが全然ちがいます。
アイランダーズとして出演するときは、沖縄色を強めに出して歌っていますし、アルバムも沖縄色を前面に出していますが、自分だけのソロのときとはだいぶ違ってくると思います。

 

―たしかにあびこさんのソロ曲「石花草」は沖縄の感じでしたが、「うたかた」(石花草 2曲目に収録)には三線が使われてなかったです。
そうですね。4曲のアルバムですが、それぞれコンセプトがあります。違った私を聴いてもらおうと、4曲あえて違うコンセプトで作りました。

 

―あびこさんの音楽の原点となるものはなんでしょうか?
やっぱり、北海道のばあちゃんだと思います。
一緒に住んでいたとか、しょっちゅう会うってわけではないですけど・・・遠くにいて、ただ噂だけは聞いているみたいな(笑)
でも、ばあちゃんの血を受け継いだから、民謡に興味があるんでしょうね。元々、父も歌とかギターを弾いていましたが、私が子供の頃はまったく音楽には触れずに育ちました。

●諦めたもの、避けたもの――――

―2006年頃から歌を始めたようですが。
音楽を好きになってからは、学生の頃にバンドをやったり、クラブミュージックを歌ったり・・・音楽を本当に好きになったのは14歳ぐらいでした。それまでは子役をやっていまして(笑)
日曜のバラエティーとかに出たりするタレントみたいなことでしたが、歌のオーディションだけは逆に仮病で逃げてしまったり。
初めは、女優になりたかったんです。女優って自分ではない違う人になれるじゃないですか。それで女優になりたかったんですけど、中学生になってから女優になるのは無理だと気づいてしまって・・・。

―子供の頃は、歌を避けていたんですね。
そうなんです。ちがう自分になりたかったけど、歌を人前で披露するのが恥ずかしくて・・・
でも14歳の時に、バンドブームで音楽を盛り上ったときにはいいなぁと思っていました。荒井由美さんや森田童子さんみたいな暗い曲や演歌とかの1人で歌う曲が好きでしたが、カラオケは嫌いでした。

 

―では、人前で歌えるようになったのはいつからですか。
たまたま、子役をやっているときに移動のロケバスにあったカラオケセットで順番が回ってきたんですよ!
そのときマライアキャリーを歌ったら、「上手いねぇ」と褒められたことが始まりでした。
中学生になってカラオケが流行り始めて、友達の前で歌ったら、また褒められたんです。そこで高校の文化祭でも2年連続、歌うことになり、そのときに「女優は無理だったから歌手になろう」と決めました。ただ、歌手になっても話すのが得意じゃなくって。

●フィリピンと三線――――

―でもあびこさんのMCは、キャラがいいですよね。歌っている人と同じに思えないというか(笑)それで2006年から独学で三線を始めたようですけど、なぜ三線を?

・・・多分、その頃は人生に疲れていたんだと思います(笑)
東京に埋もれてたというか、アルバイトの日々で未来が見えなくて。歌手になるために、お金を貯めて上京したはずなのに、・・・騙されたりもして。
アルバイトしかしてなくて、どうしよう?と思ったときに、都内の沖縄料理屋さんで三線に出会いました。中学生のとき、フィリピンに1年ぐらい住んだ時期があって、あの南国の気持ちを思い出させる音が三線でした。とても懐かしく感じたんです。
あの空気感が似てるんですよね、人のゆるさや大ざっぱなところ。私もそういうところがあって、それで三線をやろうかなと。

 

―そこから、早くも翌年の2007年には都内でライブをしたんですよね。
弾けもしないし、歌えもしないのに、無理やりライブを行ったんですよね。
もちろん成功するわけもなく、すごい落ち込みました。すぐ挫折して、もう辞めようかな・・・と(笑)
でも、浅草橋にあったニライカナイさんから「お店で歌いませんか?」と声をかけられたんです。それでまた歌うようになったんですけど、そこのマスターがとても厳しい人でよく怒られていました。
ただ「へたくそだけど、度胸だけはあるからやってみなさい」と言われて、そこからステージに出て勉強しました。

●ばあちゃんの背中――――

―最初から、沖縄独特の発声で歌えたんですか?
いえ、全然できてなかったです。
一応コブシはまわっていたとは思うんですけど、昔のYouTube観ると違うなぁと思いました。三線を始めたあとに、三味線と長唄を習い始めました。
きっかけは、その頃にばあちゃんが脳卒中で倒れて、よく会いに行くようなったんですけど、ばあちゃんとじいちゃんの老人ホームで歌ったりしていたら、ばあちゃんから三味線を譲り受けたんですよね。
これはやらなきゃいけない、と思って、習うために連絡したのが長唄や津軽三味線の教室でした。そこで少し習っていました。ただ習っても難しくて、結局は挫折しましたけど(笑)

 

―それで、本格的に沖縄の音楽に?
自分のルーツではないんですけど、自分なりの沖縄というか、南国的なものを感じていたかったんです。三味線や民謡を習ってみて、今やっと分かったのは本当に民謡は難しいってことです。
ステージで三線をもっているのが申し訳ないとも思うし、だから民謡を取り入れていないというのがあります。
ただ将来的には、ばあちゃんの跡を継ぎたいっていうのがずっとあるので、民謡をいつかはやりたい。根底には、それがあります。

 

―おばあさんは、どんな民謡をやってらしたんですか?
全国の民謡です。北から南まで、北海道出身ですから北海道民謡が中心でしたけども、安里屋ユンタも歌っていました。
民謡の世界は厳しいので、コンクールを目指したりはしても、ライブはあまり行わないんですよね。だから沖縄民謡みたいに、気軽にみんなが歌えるものにしていきたいとは思います。
少しずつ、いつかは色んな民謡を取り入れたらいいなと。

●sing a song――――

―行く末は、民謡歌手でしょうか?
いや~(笑)よくどこを目指しているのって言われますけど、ただ歌が好きなので、なんでも歌いたい。洋楽も歌いたいし。
でも三味線が基本にあるので、そこから派生して、何か面白いことができればと考えています。

 

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初めは自分を励ますために歌を歌い始めた、と話すあびこさんには複雑な子供時代がある。
それを乗り越えようとがむしゃらになったのではなく、淡々と自らを癒すために歌があった、ということに合点がいく。誰しも、そんな記憶を持っているのではないだろうか。
ふと何かを紛らわすために口ずさんだ瞬間を。

彼女の声には、その瞬間に寄り添うような静けさと温かみがある。
彼女が子役時代から違う自分を夢見ていたように、きっと誰もが違う自分を夢見たりする。
その夢は、叶うかどうか分からない不確かなものかもしれない。

だからこそ、彼女の歌を聴くと静けさと温かみの間で切なくなるのだ。

 

<インタビュー:釣本忠勝/ライター:本輪のと>
 
 

 


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