島音interview ザ・レキオ 赤星勇二郎
By habu-connection On 10 12月, 2012 At 12:11 AM | Categorized As High Light, OKINAWAN MUSIC, ザ・レキオ, 島音interview | With 0 Comments

全国を回るザ・レキオの第2弾インタビューは、ベース担当の赤星勇二郎さん。
単独インタビューとしては、今回が初!!ベーシストとして独特な感性と冷静さを併せもつ、彼の心に迫ってみた。

赤星 勇二郎(bass担当)
●プロフィール
1982年7月1日生まれ、熊本県山鹿市。
熊本出身の彼の加入により現在のザ・レキオ音楽が仕上がる。
常にサウンドへのこだわり、アレンジへのこだわりを追求し続ける。

●公式Webサイト http://the-lequio.com/info.html



◆インタビュー目次◆
・ベーシスト、そして出会い
・三線とベース
・その人であることの意味、というスパイス
・三人の中の東京
・音楽的、人間的

 

●ベーシスト、そして出会い――――

―熊本出身ですが、熊本城に近いところに住んでいたそうですね。
もともとずっと長く住んでいたところは、自転車で20分程のところでした。今は祖父が亡くなって、すごく遠いところになりました。

 

―いつからベースを?初めから、ベーシストだったんですか?
高校の入学式にギターを買ってもらって、よくあるFが弾けない状況になって(笑)
でも友達がバンドやろうって誘ってくれて、やろう!やろう!みたいなテンションでやったんですけど。全然うまく弾けないなと思っているときに、ほかに色々と声を掛けたらギターやりたい人がいて、それで、「僕はちょっとギターがあんまり面白くないんだよね」みたいな(笑)ベースにしようかなぁっていう感じで、高1の誕生日にベースを買ってもらってそこからですね。

 

―その当時は、どんなバンドをしていたのですか。
当時、誘われたのは“L’Arc〜en〜Ciel”ですね。

 

―似合いますね(笑)
え!似合う?ほんとですか!そのときは、hydeさんしか見ていなかったですね。カッコイイ!でもライブは2回ぐらいしかやっていなくて、それからはずっとオリジナルです。

 

―それから、福岡へ?
高校を卒業してから、熊本で組んだバンドのメンバーで福岡に出て、1年ぐらいやって、今度は「レベルが低い」みたいな話になって修行をしようと1 年間休止しました。
本当に顔を合わせることもなく、バンド活動をせず、オリジナル曲もやらずに、個人レベルを上げようと。
1年後に戻ったら、みんな違うことをしていたので合わなくなっていました(笑)みんな、違うジャンルをやっていたようで(笑)それで面白くないよねってことで、僕は抜けるとなって、結局は解散になりました。

 

―そこから、転々とする?何歳のときに、今のメンバーと出会ったんですか。
転々としましたね。2004年、僕が22歳のときです。

 

―どうやって出会ったんですか。
音楽学校を卒業して、ジャズの師匠の付き人をやっていたんです。いろいろ手伝っていたんですけど、その頃は自分のバンドが欲しいなと思い始めていて、たまたま二人(ヤンバラー宮城/山川隼平)がアルバイトをしているところに派遣で行って出会いました。
それで、対バンをしたんですよ。当時は“かりゆし”っていうバンドと、僕がリーダーだから、赤星バンドでいいんじゃないと流れでなった“赤星バンド”と(笑)(笑)ボン・ジョヴィみたいなもんですよね(笑)
その対バンをやっているときに、二人の曲を聴いて、すごくいいなぁって思って。次の日に「良かったです」みたいな話をして(笑)そしたら、ヤンバラー君が「じゃぁ事務所に遊びにおいでよ」と言ってくれて、ちょっとセッションすることになりました。
そこから、結構すぐに決まりましたね。かりゆしの方がレコーディング決まっていたので、レコーディングも参加して、「クレジットなんだけど、どうする?メンバーになる?」(笑)そういう沖縄のノリっていうか、なんていうか分からないですけど、「あーじゃぁそうします」となって。ほかのバンドとかはもう全部やめて、メンバーに入ったんです。

●三線とベース――――

―三線とかって独特だとは思うんですけど、それに抵抗はなかったんですか。
どっちかというと、楽しかったですね。ないものに触れて、ドラムレスっていうのがあまりなかったし、面白いなぁーと。あと、拍とかも独特じゃないですか。ここ9小節あるけど、みたいなところがすごく面白くて新鮮でした。

 

―かりゆし時代の前半は今よりも沖縄ポップスな感じでしたが、ドラムがないのでベースをつけるのは大変ではなかったですか。
結構、苦労しました。かりゆしは2000年からやっていましたが、僕は2004年から入りました。その4年間分のライブビデオを事務所が録っていたので、それを全部観て、ノリだったりライブの展開とか、あとその唄三線というか。歌に楽器がついているというのを、体に入れていってみたいな。最初は譜面書いてみたりして。途中でアホらしいなと(笑)
多分そういうものじゃないんだろうな、もういいやーって。

 

―譜面に起こしていた?(笑)
起こしていましたね・・・なんか西洋的じゃないですか、譜面があってないような。感覚にノッたほうが、結果的に面白いのかなって思いました。

 

―今では、ベースは切っても切れないですよね。
そうですね、それを二人が気づいてくれれば(笑)
ただベースの人から見たら、ちょっと変なところがあるかもしれないですね。

 

―全部を担っているんだな、とは思いました。
ここ最近までは自分がベーシストという感覚がなくって。フワッとしたものを入れる感覚だったんで、たまたまそれがこうベースやっていて早いっていうだけだったので。最近、ベースが楽しくなってきた感じです。

 

―最近、楽しくなったんですか。
ここ1ヶ月、2ヶ月ぐらいがベーシストとして楽しくなってきました。

 

―確かに先月ザ・レキオのライブを観に行ったとき、今までのベースと変わっていましたね(笑)
最近、ベースはいい楽器だなって思ったんですけど。自分がベーシストというより、コンテンポラリーというか全体の感覚のほうが合っている・・・ここはちょっとドラムのキックっぽいのが欲しいんだろうな、とか。ヤンバラー君のギターが多くの流れなんで、短音的でちょっといこうかなとか。

 

―それができるのは、ベーシストだからだと思いますが。プロデューサーの方でベーシストが多いのは、そういうことでは?
そうなんですかね。ギターの人とかピアノの人とかって、一応コードとかでもトップを食らっていく鳴りという考え方もするけれど、基本は縦軸だと思うんですよ。コードの鳴りの響きって。ベースって横軸っていうか、どこで音を落ち着かせようかなみたいな。
三線もですけど。結構ちがうから、面白いかなぁと。

 

―三線が入ってくるとまた変わってきますけど、その難しさはありますか。
そうですね。極論で言えば、三線ってすべてを担っているじゃないですか。ベースラインも弾いているし、メロディラインも弾いているから。極端なことを言えば、ベースいらないんじゃないかなって思った時期もあって。もう全部入っているから、ピアノの片手版。コード感も出てるし、ルートにもなっているし。

 

―ベースが要らないと思った時期もあった?
ありました、ありました。

 

―その頃は、それでアレンジを変えるということも?
打ち変えたりというのはありますけど、基本的には邪魔せずにルート弾けば間違いがない中の一部の変化で、メロディよりにいくのか横軸のラインで作るかとか。そこが、ベーシストと自覚していなかった良さかもしれないです。

 

―ドラムが入ったときには、ドラムの人がしんどいかもしれないですね。
それは確かに。バンドさんで、ドラムってすごいリズムが出過ぎてしまうじゃないですか。シャッフルになっちゃったら面白くないし。ドラムもベースもですけど、世の中でイイと言われる音楽がどうしてもブラックミュージックばっかりで、グルービーなものが良いとか悪いとかっていう感覚だから、そこで勝負したら勝てないなっていうのはずっと思っていて。日本人だからいいんじゃない頭打ちでも、そこで歌とグルーヴが合えば、みたいな。

 ●その人であることの意味、というスパイス――――

―新しい曲作りについてはどうですか。曲を作った人がつけるんですか?
いや、そんなことないですね。三人とも、作り方が違くて。ヤンバラー君は、基本的に歌・ギターで歌っていて、2番目ぐらいから僕が乗っかり始めて、ズレをなくしていく作業をするって感じで。
でも、根本を変えちゃうってこともありますね。「サンキューベイベー」は、もともとバラードで作ってきてたんですけど、でも、ノッたうえで、実は歌詞が良く、“ザ・レキオ”節というか、なんかその方が面白いんじゃないかなぁーと話して、リズムを全然違うものに変えるっていうやり方・・・ヤンバラー君は、そんな感じかな。

隼平は頭で完全に鳴っている、ある意味芸術肌の人だから。それを、今度は100%しないようにするというか。極論でそれを担うベース、ギターを弾くなら、上手い人とやったほうがいいじゃないですか。僕がやっている意味、ヤンバラー君がやっている意味を、どれだけスパイスとして入れられるのかが面白いのかなと。このメンバーだから、この音になったっていうのを作るようにしていますね。
僕が作るときは、とりあえず全部を作るんですよ。ドラムの打ち込みに、ベースパートとギターと、三線は弾かないですけど。メロディを弾いた音源を渡して、それから僕は歌詞が書けないので、ヤンバラー君が書いてきて全然ちがうものになる、っていうのはそれでOK(笑)

 

―曲の「雅」は?あれも同じように起こした?
「雅」は、唯一両方ですね。あれは、格好いい話になるんですけど(笑)
ポール・マッカートニー方式のような(笑)寝ているときに曲ができたんですよ。夢の中で出来て、起きてそれをそのまま書いて持っていったんです。それで出したので、なので1番しかないんですけど。

 

―そのままの形で、そのまま出したんですか?
完全そのままですね。アルバム「LEQUIO」に入っている「また逢いましょう」という曲は、コインランドリーで作りました。乾燥で回っている洗濯物を見て、なんか楽しそうだなあって。それでメロディが浮かんで、コードを当ててヤンバラー君に提出して、「お願いします、どんなんでもいいです」と(笑)

 

―「また逢いましょう」という曲は、思い切った感があると思いますが。
僕はないんですけど、みんなに言われますね。攻めたねって。

 

―初めて聴くとそうなんですけど、改めて聴きなおしてみるとアルバムに馴染んでいました。
その言葉が欲しかったです(笑)結構あれは、違和感あるっていう人が多いんですよ。僕的には、ザ・レキオに寄せて作ってて。コード感とかひねりくれ具合が、そうなんですかね。

 

─ザ・レキオの曲の中でもコードが多いですよね。
多いです(笑)Aメロ、Bメロ、サビで一時転調はしてるし(笑)結構、凝りましたね。

 

―メンバーに聞かせたときの、反応はどうでしたか?
あれ・・・どんなだったかな・・・全然覚えてないです(笑)基本的には、ザ・レキオで作ったあとにやらなくなることはあるんですけど、やる前にボツはないですね。
作って、あんまり違う感じだと、頻度が少なくなったりとか(笑)

 
●三人の中の東京――――

―6月に出たアルバムは「イヤサッサ」抜きですが、それはメンバー一致だったんですか。
そうですね。せっかくバンドの名前も変わって、「かりゆし」という響きから沖縄が強い感じ、それも自分たちなんですけど、そうじゃない自分たちが聴いてきた、等身大の音楽に近いものになっているか。それはこれを一回出しちゃえば、あとが楽になるかなと。「どっちもザ・レキオだよね」ってなればと思って。

 

―今までのアルバムと比べると、ロックな感じが強いですよね。
エレキギターが、強いですかね。近い人たちからは、「ザ・レキオついに売れたくなったな」って言われます(笑)
沖縄っていうモノだけでやると、どうしても沖縄好きってなってくるけど、そこからザ・レキオ好きになってもらいたいというのもあります。今回はちょっと無理した面もあるし、もともと1曲ぐらいは沖縄チックなのをガーンとやりたいね、という話はしてたんですけど。結果的にやらなかったですね。

 

―ヤンバラー宮城さんが、東京に行こうと提案したんですよね。ついに来たかと思ったのか、それとも今から?と思ったのか、どうでしたか
ずっと三人の中に東京はあって、でもそういうことを口に出すのがやっぱりヤンバラー君ですね。それは逆に、僕ら二人は持っていないところなので。
どっちかと言うと満場一致でしたね。ポニーキャニオンから出させてもらったとき、待っている自分たちがいて、準備が整っている東京に呼んでもらってという夢をみている状況だったんです。それがちょっと三人の中で後悔というか、勝負してないっていうのもあったし。歳を重ねて、どっちにしろ勝負したいから東京に行きたいと。昨年くらいからずっと事務所と話をしていて、一緒に来てくださいっていう話をしていたけど、やっぱり事務所には事務所の考えがあって。

 

―今まであるものを置いて出てくるのは、思い切った決断ですよね。
思いっきりましたね。とくにその昨年、地震もあったし、なんでいま東京なのって言う人もいたり、東京から逆に離れて活動するミュージシャンもいますし。結果的に自分たちが後悔しないで選んだ結果です。

 

そうですか。さて、今まで一番影響を受けた音楽ってなんですか。
一番・・・そうですね、JAZZは勉強しました。聴こうと思って聴いたのは、JAZZです。自分の中のヒーローってすぐ変わるので、特に一番はないんですけどベーシストだと細野晴臣さんですかね。

 

―移動中は、何か音楽を聴いていますか。車内で何か流れてる?
その日で違いますね。各々で聴いてます(笑)
ヤンバラー君が運転しているときは、共通の音楽を聴いていますね。隼平と僕は、思い思いのものを聴いています。

 

―最近では?
今日はJAZZを聴いてました。その日で違うのでメチャメチャロックの日もあるし、レッチリの日もあれば、ゆるくハナレグミを聴く日もあります。どちらかというと、インストが好きですね。

 

―昨年の青山でのワンマンライブでは劇をされていましたが、あれはヤンバラー宮城さんが提案されたんですか。
あれは、隼平です。作ったのが隼平で、もともとある曲なんです。いつも20分ぐらいになるんですけど。

 

―それをやろう、と言われたときにどう思いましたか。
僕は火傷しなければいいですと(笑)役に入れてもらえなくていいから、二人でやってくださいと(笑)今のところは、太字でお願いします。火傷しなければいいと(笑)
 

●音楽的、人間的――――

―ザ・レキオには、「NUCHIGUSUI MUSIC」という沖縄っぽいテーマがありますよね。沖縄の良いところが、そういった人間味や温かさだと思います。熊本出身の赤星さんは、それにどう携わっていこうとかはありますか。
僕は、映画で例えるならば二人には役があって。今のMCを見ていただけると分かると思うんですけど、この二人が良く見える。歌っているときはボーカルとして良く見える、MCのときには面白いことを言う。メッセージ的なことを言うときのBGMで僕はいい、というか。個人的には、僕っていう人間が先頭に立っていなくても良くて。結果的に、ザ・レキオでいい。二人が気持ちよく歌えてる、という理由は何でしょう?のところで、僕がいればいいのかなと。

別に音楽じゃない部分でも、そうであっていいかなっていうのはありますね。だからかもしれないですけど、気に入ったラインとかもないですし。

 

―お二人に対しての印象って、いかがですか。音楽的にも、人間的にもですけど。
ヤンバラー君は、ダメ人間ですね(笑)
そうであってほしい、っていう自分がいる(笑)真面目に学んで・・・学ばないといけないことはあるので(笑)普通にハマっちゃうよりは、やっていて出来ないことを補ったほうが結果的にザ・レキオにいいかな、というか。まぁ直さなくてはいけないところはあるんですけど。

 

―ミュージシャンというより、人間的なヤンバラー宮城さんが魅力であると?
そうです、そのままで(笑)それに、それは沖縄の音楽に反映されているから。真面目な話をするときに真面目にしていても、本質はたぶん伝わるし。
隼平は天才肌なので、対照的。性格も正反対で物事の考え方もそうだし、隼平は繊細で慎重ですね。メンバーの中で、いちばん真面目です。結構ふわっとしていて、何考えてんだろうって外からは見えないんですけど、いちばん考えているタイプ。

 

―隼平くんは石橋を叩くタイプで、ヤンバラー宮城さんは石橋をスキップするタイプ?
「とりあえず行こうよ!」って、ヤンバラー君は言うタイプですね。
隼平は、時間かけて石橋を渡るけど、気づいたら絵を描いている(笑)「なんかすごい良い橋になったねぇ~」みたいな(笑)

 

―ご自身はどうですか?石橋を叩きますか。
僕は・・・自分ではスキップ派だと思います、わりと。ただ一番、固いと思われてる。
僕の物事の基準って、後悔するかしないかだけなので。成功・失敗よりも行ってみないと分からない、行ってみたあとに最悪で失敗する結果だったとしても後悔しないほうがいいかな。

 

―なるほど。さて今後についてはいかがですか。
売れたいというか、さすがに12 年もやっているので結果を出して、応援してくれている人に一つ結果を見せて喜んでもらって。沖縄でも放送されるような大きな番組に出させてもらって、フェスとかにも出て、二人の両親も安心してもらっていければいいかな。

 

―では、ライブでは赤星さんのどんなところを観ていただきたいですか。
二人が楽しそうな顔をしているときに、さてなぜでしょう?と思ってください。僕は見ないでください。太字でお願いします(笑)


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ザ・レキオの音楽を支える赤星さん。
「僕はBGMでいい」という言葉を聞いたとき、彼がミュージシャンであることを改めて思う。
ただひたすら、そして徹底的に音楽を奏で続ける側のミュージシャンなのだ。
音楽を奏でる。それに徹底することが、すなわちエンターテナーとなり、
アーティストとなることに気づかされた貴重なインタビューである。
<取材:釣本忠勝/ライター:本輪のと>

 
 


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