島音interview ヤンバラー宮城
By habu-connection On 26 5月, 2015 At 12:20 AM | Categorized As High Light, ヤンバラー宮城, 島音interview | With 0 Comments

島音interview-ヤンバラー宮城 表紙
ザ・レキオ活動休止から1年。今年3月にはソロ初となるシングル「ブーゲンビリア」を全国リリース。ブーゲンビリアレコ発ライブツアーも各地で大盛況だったヤンバラー宮城。ソロになってからの意気込み、ザ・レキオへの思い、今のバンドメンバーへの思いを語ってもらった。島音interview2年半ぶりの登場!

ザ・レキオ活動休止から1年
-ソロ一年が経ちましたが、一年経ってみてレキオ休止後いかがですか?
去年の一年はですね、どうしようか迷った一年だったんですよ。2014年の4月からバンドを休止したので、一人でやっていけるかどうかも分からないし。ずっと、ずーっと15年同じバンドをやってきたので。ソロでの活動っていうのがやったことがなかったので、まず出来るかどうかも分からない感じで。

やってみようかな、それとも沖縄に帰ってゆっくりしようかなとか、一回音楽から離れてみようかなとかも考えたりもしたんですけど。どうしようかなって迷いながらの一年だったんですけど。迷いながらもライブしてたのがすごい良かったのか、ソロでもまたちょっとずつ自信っていったらアレなんですけど、イケるかもなって思うようになった一年でした。

-その「イケる」って思うようになったきっかけというのは何かあったんですか?
ヤンバラー宮城 (1)一番大きかったのは、今のサポートしてくれるメンバーに巡り会えたというか。一人でピンでやってたら、もう今頃沖縄で畑仕事とかしてるかもしれないし。いつもメンバーに、人に恵まれてる。すごい助けられたりすることが人生の中で音楽に限らずたくさんあって。いろんなサポートしてるメンバーそれぞれが忙しい中、結構僕のスケジュールに付き合ってくれてる。その時点でその気持ちも嬉しいし。

その気持ちがどんどんグループになってまとまってきて、音楽にその気持ちが伝わっていく感じがあったんで。これならイケるかもっていうのは、自分の自信じゃなくて今のメンバーとのスタンスの自信がついたというか。

-それはレキオの頃とはまた違った感じ?
レキオはレキオで長い歴史があるので、いろんな意味でのグループはあるんですけど。また今しか出来ない、ソロしか出来ない、自分自身の自信って何かを反映しないと分からないじゃないですか。何かに映さないと。自分のスキルだとか技術だとかパフォーマンスだっていうよりは、メンバーに会えたこととか、レキオの頃を知らないソロになってからついてきたファンの人たちとかが増えてくると「あれ、これでもイケるんだ」って。

そういう意味で何かに反映して。お客さんだったり、バンドメンバーだったり、あとはイベンターさんだったり。ソロでも「いいね、ぜひうちでライブして」って言ってくれたりだとか、何かに反射したときに自分に返って来たときの自信というか。

-その自信の表れがレコーディングに繋がった?
本当は今回のレコーディングは、そういうつもりで作ったわけではなかったんですよ。正直言うと自信をつける前にというか、迷ったままの去年一年の中で。どっちにしろ沖縄で地元でゆっくりするって考えたときに、いちおうソロでも一年一人でやったっていう日記として最後に残そうかなと思った。いったら終わる為のCDというのがあったんですよ。置き土産というか。

-ヤンバラー宮城がいましたよ、みたいな?
このレコーディング作成中に今お世話になっている730Recordsに、せっかくだから全国で発売しないかっていう話を頂いて。そこからちょっとずつ、求めてくれる人がいるんだったら、やるとこまでやったほうがいいのかなって気持ちが大きくなってきて。結果的には「始まり」のCDだったんですけど、もともとは「終わり」のCDとして作る予定だったんですけど。

だからレコーディング前半のノリと後半のノリは、「よし、やってやろう」と思ってから全然変わったんで。たぶんエンジニアさんが大変だったと思います。ビッキーなんですけど。後半のノリの方が良いんで。

-レコーディングは曲順通り?
歌は前半録ってたやつは「終わり」の声だったので(笑)
結局後半、いい腹くくった声になってたんじゃないかな。人が腹くくったときって表情もそうなんですけど音にも出ると思うし。歌い方っていうか歌にも出ると思うんで、ライブじゃなくても十分音源からでも伝わる作品になったんじゃないかなと。

-今CDに入っているのは吹っ切れたあとの声が乗っかっているんですか?
乗っかってますね。だいぶ底抜けにハッピーな感じで出てます。

初めてのレコ発ツアー
-それでレコ発ツアーを行なったじゃないですか。各地の反応はどうだったんですか?
レキオで全国回ってたときのお客さんたちもたくさん来てくれてたんですけど。やっぱり本当レキオ大好きだったファンのたちは、しばらく僕のソロライブ見れなかった人たちが多かったんですよ。ソロになってから、やっぱりお客さんも減ってたし。

隼平のファンがいたり、勇二郎のファンがいたりするので、それはもちろん当たり前のことなんですけど。3人揃ってレキオだからってその想いが強いファンの人たちは、逆にソロを見ると切なくなりそうで来れないっていう声も聞いたことあるんですけど。きっかけは多分なかったと思います。

今回のレコ発ツアーは全国各地の人たちにFBなりなんなりで、結構熱く「ソロで頑張っていきたいから、ぜひ見に来てほしい」っていうメッセージを届けたら結構来てくれて。そしたらみんな、これはこれでまた。レキオとはまた違うバンドとして、ぜひ好きになって下さいっていう感覚で聞いてもらったんですど。すごい盛り上がってくれたんで。どっちかっていうと3月のレコ発ツアーは自己紹介という感覚だった。

-「初めまして」的な?
「初めまして。昔、ザ・レキオにいましたヤンバラー宮城と言います」っていう感覚に近い感じで。ま、別に解散したわけじゃないんですけど。僕の中では今一番のライバルはレキオなんで。まずは「レキオ・ヤンバラー宮城」を超えないといけないなと思います。

ちょっと話変わるんですけど、今回のインタビュー頂くにあたってレキオのころ最初にハブコネのインタビューに出させてもらったとき、その時のインタビューを見直したんですけど。すごい恥ずかしいですね、生意気なこと言ったりとか。

-人柄出てたと思うよ。なるべく修正しないようにっていうのがハブコネのスタンスだから。
いざ掲載されたのを見たときに、本当に編集されてないんだって思いました(笑)
生意気だなと思った反面、20代の頃のファンキーな怖いもの知らずな感じの「ザ・レキオのヤンバラー宮城」の発言が、それはそれで愛おしくもあったり。「かわいいなぁ、なんちゅうこというんだお前は」っていう。
昔の人が良く言うんですけど、稲穂のようにどんどん頭が下がっていくっていうのが分かる気がして。一個一個に感謝するようになりましたね。もちろんもともと感謝はしているつもりなんですけど、ちょっとしたことが嬉しかったりとか有り難かったりとか。

ていうのを特にレキオ休止して、ソロになってから余計に思った感じなんで。より一層初期のインタビュー見たときにハラハラしながら見たし、出来れば、5年後3年後にまたインタビュー見たときにこのインタビューの内容も「かわいいな、まだガキだったな」って思えるように成長出来たらなと思います。

-本音が魅力じゃないですか。人間性が一番の音楽の魅力だと思う。この3~4年間の間に何があったんですか?
素人感満載だったんだと思う。あの頃はまだ。

-今回のツアー、反響すごくて追加公演も出たじゃないですか。ソロになってツアーで得たものってすごい大きかったと思いますが、いかがですか?
レコ発一番最、初東京で始まって大阪・香川・島根・福岡・小倉。この6カ所でやったんですけど。たとえば、京都でもやってくれ、長野でもやってくれって。
SNSで、FBなりツィッターなりで、いろんな人が「おもしろかった!」ってあげてくれるじゃないですか。それを見て「京都でもやってくれ」「長野でもやってくれ」「沖縄でもやってくれ」っていろんなとこで声が掛かったんで。そういう声があがるってことは、なんだかんだレキオで全国いろんな県でやってたおかげだなって思うんですけど。

どんどんそれを実感するたびに、辞める理由より歌う理由の方が数が超えていく感じなんです。歌い続ける理由の方が増えていくんで。まだ歌おうと。まだ歌おうというよりは「やっちゃおう、第一線を目指そう」と。もしかしたらレキオの頃より、下手したら今の方が思ってるんじゃないかっていう。

-ライブはイキイキとしてるというか、パワーを感じます。
ある程度やりたいこと、やるべきことが見つかったんで迷いはないですね。そこにあとは、パフォーマンスとか技術とか活動を、その目標に近づける努力をするしかない。どう努力していいか分かんない、どういう方向にいけばいいか分かんないって迷ってるときの方が全然しんどかったんで。

-その時期ってレキオをまたやるつもりではいたんですか?
たぶんザ・レキオとしての活動はそれで売れて食っていくっていうよりは、3人の中で同窓会的な感じで、またいつかライブ出来たらなっていう感覚ではあります。だから尚更僕は第一線で頑張らないとなって。僕が第一線で頑張って売れることは2人を肯定することにもなるんで。

-ベースも三線も入れないっていうのは意図的?
始めはっていうか今でも意図的ではあります。ベースと三線を入れないっていうのはこだわりでもあります。こだわりというか、「やっぱもっかいやりたいな」って40歳くらいになって思うかもしれないじゃないですか。

僕がベースと三線のポジションを空けて第一線でいたら、また帰って来れたらいいなっていうのも半分あるし。でも半分はやっぱレキオがライバルなんで。「レキオのヤンバラー宮城」がソロでやってるじゃなくて「ヤンバラー宮城って昔レキオってバンドやってたんだよ」って逆のイメージのが強いぐらいの気持ちでやらないと。ちょっと冷たい言い方かもしれないんですけど、2人待ってるとたぶん腹くくりきれんくなる。
2人への恩返しのつもりで僕はソロはソロで、レキオより売れるぞっていう。ま、レキオ自体もそんなに売れてたわけじゃないんですけど(笑)まずはレキオを超えていこうっていう感覚はありますね。….つづく

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